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私の「松山俊太郎先生と私」1 [松山先生と]

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先生から頂いた「蓮と法華経」の見返しに入った先生のサインと句。もう13年も前。その時もその句を見て寂しかったけど今また見返すと涙が止まらなくなります。先生とのあれこれを綴った他の方の文をネットで見つけては読み、心の中の穴ぼこを少しでも埋めようとしているうち、もしかして私の思い出話も誰かの心の穴埋めになるかもしれないと思いました。
 学生時代、うっかり先生のゼミを取ることを決めた後日たまたまスクールバスで隣の席に座ったら「まずは飲みに行かないといけない」と八王子の赤ちょうちんに一人引きずられる羽目になりました。人見知りな上、目上の方との交流に慣れていなくて内心かなり困ったことを覚えています。そこで何の話をしたかは忘れたのですが先生に「あなたの箸の使い方は正しい」と褒められました。
 そうこうしているうちに年末となり、私は風邪をこじらせたのと金欠だったのとでしばらく学校に行けないでいました(当時ATMの営業時間は短く、土日祝日は休みだったのでタイミングが悪いと金欠が続くのでした)。久しぶりにゼミに行くと私以外の生徒がいない(理由はあったのですが割愛)…先生もいない。帰ろうとした頃に先生が入って来たのでしばらく休んでいた訳を話すと「夕飯をごちそうしてあげるから一緒に来なさい」と言われました。
またもやかなり困りながらも、どう断ったらいいのかが分からずそのまま神保町まで引きずられ、洋食屋でミックスフライ定食をごちそうになり、さらに」引きずられて着いた先が美学校でした。60年代の激情が匂ってくるような古いビルでした。
 年末の先生の特別講義はいつも「ブルーフィルム(?)」上映会とかで、エロティックな絵画とか写真とか立体物をスライド上映していました(その当時でさえエロと言うよりギャグという代物でしたが)。そのまま美学校の人達の飲み会にまで連れて行かされ、ただただびっくりしていた夜でした。
 卒業後は先生とも美学校とも関係なく過ごしていたのですが、人形の作り方を正しく習いたいと思いエコールドシモンに入りました。しばらくしたころ松山先生の著書が新聞の書評欄に載り、懐かしくてお葉書を出しました。ついでにエコールドシモンに入ったことも書き添えて。
 私としてはそこで終わりだったのですが、なんとシモン先生から「松山さんが逢いたがっているよ」とお言葉が…。シモン先生と松山先生が古い友人同士だと知った時はとても驚きました。かくしてまた松山先生と交流が始まったのでした。

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