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アートマルシェ2016展のお知らせ [ア−トとの遭遇]

急なお話なんですが、ギャラリー銀座一丁目(私の個展会場だったギャラリーです)さんの年末企画アートマルシェ(フランス語だとアールマルシェなのかな?)展に参加させていただくことになりました。なにせ急なお話なのでDMには私の名前は載っていませんが。
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着ぐるみのチビちゃんビスクが引き続き登場します。おお!丸い透明パッケージに花とリボンが飾られている着ぐるみチビちゃんは、まさに企画意図の冬のプレゼントにぴったりなのでは?(いつもの手前味噌)

Art Marche' 2016
会期:2016.12/22(木)~26(月) 12:00~18:30(最終日17:00まで)
会場:Gyallery銀座一丁目 中央区銀座1-9-8奥野ビル4F
※約20名の作家たちがキラっと素敵なアクセサリーや小物などを展示販売します。銀座のクリスマスを楽しく散策しがてらお立ち寄りください。
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「たば塩」へ行く [ア−トとの遭遇]

渋谷から引っ越ししてしまった「たば塩」こと「たばこと塩の博物館」へ行く。小林礫斉のミニチュアを見て以来たば塩はお気に入り博物館の一つだったけど、私の巣から墨田区は遠い(なじみ無いし)。でも新聞に出ていた今期の催事「根付と提げ物」の記事を見たら重い腰が上がりました。
 見終わっての感想…やっぱり「たば塩」期待を裏切らない!もう少し近ければ礫斉先生の時のように何度も見に行けるのに。7月3日までなので精緻な物が好きな人は是非ご覧ください。月曜休館、観覧料300円。引っ越ししたらお代が3倍になったのね。たばこ吸う人が減ったからかしら。
 スカイツリーも見物してきました。ああ、デカい。いろんな国の人達がベンチで寝そべるような姿勢で、塔のてっぺんまで入れての記念撮影をしていました。墨田区の下町っぽい雰囲気が旅行者までのんびり気分にさせるのかな。
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エコールドシモン展へ行く [ア−トとの遭遇]

今年は展示に参加していないので「お客様」として六本木のストライプハウスへ見に行ってきました。おお!やはり生徒もみんな己の道を突き進む作品を展示しています。すごいぜ、その姿勢揺るぎなし!もちろんシモン先生はその「シモン派」の棟梁、微塵も衰え無し!
 先生がまだまだ元気でまだまだいろいろ企んでいる姿に接すると、なんだかその元気が私にも流れ込むような気がします。
エコールドシモン展は22日(日)まで。六本木の芋洗い坂を転がって行けば横縞ビルのストライプハウスはすぐたどり着けます。
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アイヌの彫り物 [ア−トとの遭遇]

骨董市でつい買ってしまった物、それはアイヌの彫り物。「これってウキ?」とつらつら眺めていたらお店の人が「アイヌの彫り物だよ」と教えてくれました。キセルの吸い口なんじゃないかな…とも言っていました。
 以前に読んだ本で、アイヌの男性は小刀できめ細かな彫り物を施した木工をした。というのを読んだことがあったのでこの細工の細かさにも納得。鱗彫りという独特の細かな装飾彫りがアルメニアの石彫り「ハチカル」にも似ています。太古になにか交流があったのかなあ…なんて思いつつ眺めています。
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「スラム砦の伝説」を見に行く [ア−トとの遭遇]

新宿のK's chinemaでパラジャーノフ特集をやっているので、今日は「スラム砦の伝説」を見に行く。東南口から5分もしないぐらいの近い所にあるミニシアター。日替わり回替わり上映で「ざくろの色」は毎回満員だそうな。「スラム砦…」の方はそれほどは混んでなかったけど。パラジャーノフの他の映画同様にこの作品もアルメニアや周辺の国々の入り組んで、もつれ続けた歴史が織り込まれている。映画の美としては「ざくろの色」ほど強烈ではないけど、この作品もまた深く心にしみ込んでくる。
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パラジャーノフ:レクイエムを観る [ア−トとの遭遇]

日曜日まで代官山でアルメニア文化週間展がありました。その最終日にアルメニアの短編映画として「パラジャーノフ:レクイエム」が上演されました。パラジャーノフのインタビューや仕事の様子、彼の映画作品とその時の彼の状況、ベネチア映画祭の同行記録が約1時間の映画になっています。生き生きと語り続けるパラジャーノフ。困難な時代を語ってさえ、生命のきらめきを感じさせる口調と表情。アルメニアにある彼の博物館で彼のアート作品を見た時「パラジャーノフはとても陽気で心が外に開かれていて、また他人を温かく包む人なんじゃないかな」と感じたのだけど、この映画の中の彼はその通りの人でした。
残念なことに、この短編映画の情報が広がっていなかったらしく見ていたのは5人ぐらい。ああ、もったいないな。この映画は博物館の館長さんから特別に頂いたもので、日本では初公開だったのに…。
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画像はパラジャーノフ博物館の中庭に飾られていた彼の写真。彼の不屈の精神と開かれた心が強く伝わってきます。
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アートマルシェ展の詳細 [ア−トとの遭遇]

12/23(水)~26(土)までのアートマルシェ展の時間が変更になったので再度のお知らせです。
12:00~18:30 最終日26日は17:00まで  です。
場所は中央区銀座1-9-8 奥野ビル4F Gallery銀座一丁目 です。
13名の作家たちがアクセサリーや小物などを展示販売します。私は小さなビスク人形を3体。画像のお人形の後ろにあるのは大きさを比べるためのCDです。ぜひお寄りくださいね。
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ついにアルメニア12 [ア−トとの遭遇]

アルメニアと言う国を語るのに避けて通れないのは1915年から数年間にわたってオスマントルコによって行われた大虐殺です。当時アルメニアはオスマントルコとロシアに分割支配されていて、トルコ側でアルメニア人への猜疑心が強くなり彼らを国外退去させることとなったのでした。
 まず政治家や知識人が殺され、神父たちが殺され、男たちが殺された後、女子供がシリアやイラクへ追いやられました。追いやられた…などというレベルではなく数年間でアルメニア人150万人が殺されたということです。
現在アルメニアの人口は約300万人。ですが海外に約700万人。海外に逃れた人々も多かったのです。

この大虐殺(ジェノサイド)のための慰霊碑がエレバンにあります。慰霊碑の隣には資料館もあり、何が起こったのかを教えてくれます。
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バラさんの説明によると、この記念碑はアルメニア人がみんなで力を合わせて作った物なのだそうです。岩だらけの丘にみんなが協力して、力仕事が出来ない子供たちは木を植えて、作ったのだそうです。
この日も冷たい雨の中を子供たちが、親や先生に連れられて大勢来ていました。
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 たまたまアルメニアの讃美歌を聴きたいとユーチューブで検索したら「お婆ちゃんの入れ墨」という外国のドキュメンタリーを見つけました。国外追放させられた幼い少女たちの身の上に何が起きたか…。胸が締め付けられます。
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過酷な歴史を生き抜いてきたアルメニアを知ると、人々の優しさもいっそう沁みてきます。旅の終わり、3度目のパラジャーノフ博物館へ行った時やっとアララトがくっきり見えました。アルメニア人にとって聖なる山アララト。でも今はトルコ領なのです。
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ついにアルメニア11 [ア−トとの遭遇]

ホテルの名前が「ベルリンホテル」となったのは…。1988年のアルメニア大地震でギュムリ市、スピタク市、キロカバン市は壊滅的被害を被りました。その時ドイツはギュムリのここに病院を作って支援してくれました。その後、その施設をホテルに改装し、ドイツに感謝をこめて「ベルリン」と名付けたのだそうです。
 朝食を取りにホールへ行くと中庭にいるワンコがガラスドア越しにお誘いをかけてきます。中庭に出ると、大歓迎してくれます。抱きしめると柔らかくてむっちり密生した素敵な毛並みでした。
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中庭にもアート作品が展示されています。いかにもかつては病院だった感じのするホテルは平屋。
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10時にはホテルを出てスピタクへ行くことになったので大急ぎでギュムリの朝市を見に出かけました。
朝市の街角から見える古い教会。後でギュムリの街を調べるとたくさん見どころがあったようですが、スピタクへ行って夕方までにエレバンに帰りアート展を搬出する…と言うスケジュールではのんびり散策はしていられません。残念。
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朝市のお店。ギュムリ駅からホテルまでの途中にあったお店も、こんな感じのプレハブっぽい小さな店舗でした。ギュムリの他の場所を見ていないので、これがここらのスタンダードなお店の大きさなのかはわかりません。
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八百屋さんも玩具みたいで可愛い。キュウリがずんぐりしていてズッキーニみたいでした。
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ギュムリからスピタクへは車で移動しました。今まで見てきたアルメニアの高い岩山の連続とは違う、これぞコーカサス!と言いたくなるような荒地あり、牧場あり、林ありのなだらかな山間地を猛スピードで走り抜けました(なので写真は撮るとぶれちゃって使い物になりませんでした)。
 アルメニアの人達って、とっても優しいし親切なんだけど、こと車の運転となると「スピード命!」「横断歩道?関係ねーぜ!」とブイブイ前のめりです。横断歩道でも青信号でもおちおち歩いていられません。が、だからと言って歩行者無視かと言えばそうではなくて、スピード出して走っていたのにスイっと止まってくれるし「ありがとう」と会釈をすると助手席に座っているおじさんたちが大喜びで手を振ってくれます。車はアクセル踏んでこそ!と思っているのかもね。

スピタク市に到着!ここに日本語のハチカルがあります。東日本大震災の慰霊の碑(ハチカル)を作ってくれて毎年追悼してくれているのだそうです。日本人はほとんど訪れない小さな地方都市で、もちろん日本語なんか読める人もいない所です。
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私たちをここに連れて来てくれたバラさんことヴァルディテルさんのHPのブログに、その話が詳しく載っています。バラさんは今、FBに情報をアップするように変わってきているので、ブログに載っているこの話はかえって探し出しやすくなりました。日本人がほとんど知らない話なのだと思いますが、こんな心で私たちを思ってくれる国があることが広く知られたら…と思います。
http://www.abic.am/index.php?option=com_content&view=category&layout=blog&id=8&Itemid=15&lang=ja

感謝の祈りをささげ、エレバンへ大急ぎで帰りました。その途中の道の駅というか休憩所で売っていたパン。おいしそうでしょ。美味しかったです。
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ここを作った人は最初、無料で使用できるトイレを作って向かいにコーヒーとパンを売るスタンドを作ったそうです。たいていこういうトイレは100ドラム(アルメニアの物価だと100円ぐらいかな。日本円だと30円弱)払うのにここはタダ。勿論たくさんの人が利用し、ホッとしたところでコーヒーとパンを買うのでスタンドは大当たり。少しづつお店を大きくして、今では立派で賑やかな休憩施設になっていました。
3人のユダヤ人でも一人のアルメニア人にはかなわない…と言うことわざがあるほどアルメニア人は商売上手なのだそうです。考え方が賢いのでしょうね。なにせチェスの学校があるくらいですもん。


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ついにアルメニア10 [ア−トとの遭遇]

アルメニア北部の古都ギュムリにイベント列車で行きました。今度は日本人だけ。でもイベント列車なのでアート関係の人達はたっぷり乗っていました。アルメニアの電車はあまりに古くて利用者は減る一方。このままでは廃線になってしまう!と学生たちが中心になって時々イベント列車に仕立てているそうです。
エレバン駅は市街地からはちょっと離れています。ソ連時代の建物らしく大きいことは大きいけどあまり愛想が無い駅。
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よく見ると柱にはソビエトのシンボル「鎌とハンマー」。ソビエト時代の建物にはたいていこのマークが入っていました。
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待合所には陽気な農家のお母さんたち。行商に行くのか、帰りなのか。お母さんたちも珍しいパンダ(私たち日本人)に興味津々で人懐っこく微笑みかけてきます。ええ、もちろん愛想よくしました、パンダですもん。
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列車は2両。1両目は木のベンチ、2両目は鉄にリノリューム。車幅は日本の1.5倍はありそう。電車の中というより病院の待合室みたいでした。天井、よく見ると折鶴が沢山ぶら下がっています。
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私はリノリュームの方の車両に座りました。女子学生が自分たちの席に絨毯を敷き、壁にも布を下げ、テーブルを置いて伝統的アルメニアの部屋っぽく演出して、コーヒー占いをしてくれました。コーヒー滓で占うって眉唾だと思っていたんですが色々な事が当たっていてびっくりしました。
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ギュムリのハンサム兄弟アーチストも乗り込んでいました。二人は金属の立体作品をそれぞれ作っています。お父さんもアーチストだそうな。アルメニアは美人の国ですがハンサムの国でもあるのです。ハンサム(弟)さんとアルメニア美人のバラさん。バラさんは美人の上に凄腕事業家。アルメニアへの旅はぜひバラさんの旅行社をご利用ください。日本びいきで日本通です。
http://www.abic.am/index.php?option=com_content&view=frontpage&Itemid=1&lang=ja
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列車の中ではアルメニアチームと日本チームとで歌合戦。みんなで歌を歌う習慣があるアルメニアチームの一方的大勝利でした。などと楽しく過ごして夕方にギュムリに到着。構内のホーム入り口の上に機関車のオブジェが。いかにもソ連ってかんじ。
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駅前はこんな。高層建築が無くて道がやけに広い。エレバンより北ってだけじゃなくなんか寒いのは風通しが良い街並みだからかなあ。あるギュムリ9.JPG

夕暮れて来たし、ホテルに案内してくれるアルメニア人は足が速いのとでギュムリの街、あまり写真に撮れませんでした。住宅地の辺りを歩いてもせいぜい2階建て。こじんまりした感じが気に入りました。でも中は広いのかなあ。
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ギュムリの街の特徴は窓の鉄の柵がとても美しい模様になっていることだそうです。
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真っ暗くなった頃、今晩の宿「ベルリンアートホテル」に着きました。名前の由来は次回に(まだ続くのかい!)
アートホテルと名乗るだけあってロビーも廊下も各部屋にもアート作品が展示してあります。
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作品展が出来る広い部屋も2つあって、私たちが着いた日は「子供たちにガラスでオブジェを作らせ、それを並べてガラスの街を作る」というプロジェクトをヨーロッパ各地で行っている方のオープニングでした。
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こじんまりした、でも素敵なホテルでした。一泊じゃもったいない。味わい深い年代物の列車も忘れ難い。またあの列車でのんびりギュムリへ旅をしたいなあ。
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ついにアルメニア9 [ア−トとの遭遇]

遺跡ばかりが続いたのでエレバン市内の様子を。
ホテルはエレバン市のほぼ中心地でしたが、ちょっと行くと古い無人の建物と、その向こう側の建築中のビル…と言った風景が目につきます。味わい深い建物が無くなっていくのは残念だけど。
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ハチカルを作る工房がありました。
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この建物は200年前のフランスの機関のもの…と迷子の私を送ってくれたアルメニア人青年が説明してくれました。彼に限らずアルメニア人は親切で、迷子は放っておきません。
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ブルーモスク。キリスト教徒の国だけどイスラム寺院も大切にしています。とてもきれいなモスクです。回廊にイスラムの美術品も展示されていました。穏やかな場所でした。
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ブルーモスクに近い場所のスーパー。レリーフが凝っています。前にここを訪れた人が驚くぐらい中は現代的になっていました。一年前は露店が集まっているような感じだったのだとか。
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夜のメインストリート。たくさんの人達が街に繰り出していますが、ガラの悪い人たちを見ることも酔っ払いが大騒ぎすることもなく、いたって健全安心。日本の繁華街より安全かも。
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週末と水曜日には共和国広場の横で蚤の市が開かれます。
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とっても広い会場に様々な物が売られています。アンティークもあれば現代の物も。現代の工芸品もとても手が込んでいます。楽器のミニサイズを売る人も多かった。
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それらを見ると民芸博物館の収蔵品を思い出します。いやはや、すんごい精緻な工芸品が並んでいてそのレベルの高さに度肝を抜かれました。
木工
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金工
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手芸
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細密な作品ばかり!アート展の企画運営、通訳&アルメニア紹介をしてくれたバラさんによると、ソビエト解体後に独立したアルメニアは大地震で原発が止まったこともあり7年ぐらい大混乱。会社に勤めていた人たちも仕事が無くなってしまったので食べていくために何かを作って売った。だからアルメニア人はみんな何かを作ることができる。ということです。それにしてもこの精緻な作品を作り上げるアルメニアの人達ってすごい。この性質は今も受け継がれているようで、ヒカリセンターに集まる子供たちの折り紙作品がまたすごい。
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ホールに飾られている折り紙の薬玉。色合いが日本とは違う素敵なセンス。
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こんな小さい物も折っちゃう。
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お別れするときに私たちの姿が見えなくなるまでずっと手を振って見送ってくれました。ありがとう。
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ついにアルメニア8 [ア−トとの遭遇]

きのう続きが書き込めなかったので今日はとっても長いかも。
さて、ゲガルド修道院からさらにバスは走り、切り立つ岩の中の道を走る走る…。ようやく止まって昼食と言うことになりました。はて、こんなところにレストランなんてあるのか?事情が呑み込めない日本人達、陽気に盛り上がるアルメニア人たちの後に続くと岩山には洞窟が!
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この洞窟の道を隔てて向かい側はこんなふう。すんごい岩場でしょ。つくづくアルメニアって石の国なんだなって思う風景です。
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アルメニア人たちが陽気に乗り込んだ洞窟はピクニックができる場所。洒落た鉄柵で囲われています。
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洞窟の中は結構広く、テーブルや椅子があり、アルメニア人たちは持参してきた色々なパン、チーズ、ハム、ワイン、果物を手際よく用意し始めます。あっけにとられる日本人達。アルメニア人はピクニックが大好きなので、みんなで出かけるときはそれぞれが分担して食べ物などを用意するのだそうです。
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洞窟の外では天幕を張ってピクニックを楽しんでいたグループがバーベキューをしていました。串刺しで焼いた肉や野菜を、壺のような窯に木の枝と共に入れて蓋をして燻製にしていました。私たちが興味深そうに見ていたら蓋をずらして中を見せてくれました。
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お腹もいっぱいになった私たちと陽気なアルメニア人たちを乗せてバスはさらに走り、夕方近くにロープウエーの駅に到着。このロープウエーはギネス認定の世界一の長さを誇ります。時間が迫っていて車体を撮影し損ねました。はるか遠くの終着点を目指し、ゆらゆらと進みます。
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とーーっても下の方に村が見えます。山すら目の下です。鳥になった気分。
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終着点にはタテフ修道院が。湿気を含んだ空気でちょっと霞んでみえます。
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ふう、やっと昨日書いておきたかった地点までが済みました。まだまだ続きますのでお疲れの方は一息入れて下さい。
で、タテフ修道院に入ってみましたとも!タテフ修道院は9世紀に建てられたのだそうです。単なる宗教施設ではなく「大学」と言った面もあったそうです。たくさんの学僧たちが生活していた施設が残っていました。
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図書館だった部屋。
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食堂と厨房の前にあるホール。パラジャーノフの映画に出てきそうです。
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中にはこんな長いテーブルが。
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帰りのロープウエーの時間が迫るので名残が惜しいけど…。この建物の裏手に山の水が湧きだしている泉があり、アルメニア人が「この水はとてもおいしいよ」と飲んで見せたので、私ともう一人の日本人が水を飲んでみました。冷たくておいしい!……しかし私は平気だったのに飲んだもう一人は後日水アタリをして体調を崩してしまいました。私は平気だったんだけどなぁ…。
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ロープウエーの麓はレストラン。アルメニア人の何人かはここで休憩していました。アーミージャケットを着たおじさんから「どこから来たの?」と聞かれたことをきっかけにちょっと会話をしたら彼はアメリカに住んでいるアルメニア人でした。ここに限らずアジア系の外国人をめったに見ない国のせいかアルメニア人によく話しかけられました。皆さん私たちを見ると一様に「パンダちゃんだ~!見ちゃった~わーい!」って感じでとっても嬉しそうです。パンダ(私たち)としてもこんなに喜んでいただけると嬉しいですよ。
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ゴリスの街で一泊してこの日は6000年前のワイン醸造施設の遺跡を目指します。ゴリスは洞窟都市だった街。大昔、岩場の洞穴に人々は住んでいたのだそうです。確かにこの岩場なら敵が攻め込んでもうまく身を守れそう。
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町のパン工房。逞しいおばちゃんが楽しそうに粉を練っています。
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練ったパン種は手前の二人一組のおばちゃんたちが手早く焼き上げます。目にもとまらぬ早業でパンを広げてもう一人に投げると、焼き役のおばちゃんは大きなしゃもじで受け止め素早く窯の内側にぺたっと張り付け、あっという間に焼き上げてテーブルの上に積み上げていました。
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大きな紙のようなパン。食べるときに適当な大きさに切って何でも好きな物を巻いて食べます。素朴な味ですが大好きになりました。
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途中、大きなクルミの木の下テーブルで、またアルメニア流のピクニックとなりました。樹の下に落ちている樫胡桃を拾ってみんなで食べました。樫胡桃は殻が脆いのでコツさえつかめば手で割れます。ピクニックをした場所のすぐ脇にはおしゃれなカフェが。アルメニアでは黄色くなるモミジが多いのですがお店の庭には綺麗な赤色の蔦が。雨に打たれていっそう色鮮やかでした。
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そしてついに5000年前、もしくは6000年前のワイン醸造の遺跡到着!2011年に発見されたのだとか。柵の装飾がすてき!
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発見されたのは岩場の洞窟の奥深く。
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この奥ですか。発見した人は勇気があるなあ、なにか言い伝えでもあったのかしら。
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入り口から見るといかにとんでもない岩場かお分かりいただけるかと。
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鍾乳洞の中みたいにくねくねとした中をしばらく歩く。こんなところで本当にワインを作っていたんですかね?禁酒法でもあったわけでもなかろうに。やっと遺跡にたどり着くと先頭を歩いていた管理人のおじいさんが説明を開始。
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アルメニアは大きな壺を地面に埋めてワインを醸造するのだそうです。大昔からそうしてたんですね。奥にも遺跡はありそうでしたが見せてもらえるのはここまで。
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洞窟を出て、改めて洞窟のあった岩山を撮る。ここの人達は岩山と共に生活してきたんだなあ…。
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エレバンへの帰り道は日本人達はほぼ爆睡。アルメニアの人達は、まだまだ陽気に楽しんでいます。途中の休憩で外に出ると雲が晴れはじめて光が射してきました。うっすらアララトも見えます。
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陽気で心暖かなアルメニア人アーチスト達との楽しい旅行でした。



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ついにアルメニア7 [ア−トとの遭遇]

私たちがアルメニアの南部に一泊二日の遠足をすると聞きつけたアルメニアのアーチスト達も加わってゴリス地方へバス旅行となりました。アルメニア人は陽気で人懐っこいし語学学習力抜群です。あっという間に「いち、にい、さん」「みなさーん」「もう一回」(写真を撮るたびに日本人が繰り返すのですぐ覚えちゃったんですが、日本人側はアルメニア語の1,2,3を覚えるだけで四苦八苦。)
薄曇りの中、ブドウ畑の上にうっすら見えるアララト山!
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アララト山って2つの山頂があって右側が大アララト、左が小アララト。小アララトは富士山そっくり。高さも同じぐらい。 ブドウ畑の傍らには農家のおじいさんたち。随分涼しくなっていたのに道端でとんでもなく大きなスイカを売っていました(並べてただけ?)。
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バスの中では今回のアート展の企画運営をぬかりなく進めた上、ご自分の旅行会社も経営している関係で私たちの旅のセッティングまでしてくれた辣腕美人企業家のバラさんが、日本人には日本語でアルメニア人にはアルメニア語で楽しいお話をたっぷりしてくれました。

まず最初はホルビラップ修道院。リプシメを石打の刑にした王様は、アルメニアに布教にやって来た聖グレゴリウスを牢獄に13年も幽閉していました。ホル=深い ビラップ=穴、牢獄。その後原因不明の病に悩まされた王様がグレゴリウスを牢獄から出すと、病は癒え、王様もキリスト教徒に改宗し、エチミアジンも作ることとなった。 そのグレゴリウスが幽閉されていたという深い牢獄が今も残っていて潜ってみることも可能です。
アルメニアの美術学生たちの集団と偶然一緒になり、記念撮影を繰り返しているうちに時間が無くなり修道院の姿を撮影し損ねました。中の祭壇はこんな。アルメニア人アーチストの方々のお祈りする姿に打たれます。
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ホルビラップを後にして、やけにバスは先を急ぐ。「ミサの時間に間に合うかしら」とバラさんはやきもきしています。すんごい斜面のその上にポツッと教会が出現。え?周りに村あったの?とびっくりする間もバスは全速力で教会を目指す。ミサが始まるその時間に到着!
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着いたのはノラバンク。新しい教会(修道院)と言う意味だとか。新しいって言ったって13~14世紀に出来たのね。さすがアルメニア!教会ではミサが始まっていました。ミサは神父様が歌っているように聞こえます。とてもいい声です。
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途中で祭壇に幕が広がり神父様はその中で祈りをささげています。
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再び幕が開くと神父様は参列者たちを祝福します。小さな子供(赤ちゃんかな?)が祝福されています。
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外に出て教会を眺める。ノラバンクです。
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鐘楼は有名な建築家が作った最高傑作なのだそうです。
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鐘楼の向こう側にはふるーーいハチカル(石の十字架)と絶妙な石組みの家?倉庫?が。
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さっきミサをしていた神父様が登場。神父様はお仕事の合間に「ここでしか撮れない絶景」を写真に撮って発表しています。今回のアート展にも素晴らしいアララト山の写真を展示していました。「アート展を見に行くことはできないけど、参加できて光栄だ」と語っていました。手に持っている写真は冬景色。カラー写真なのに水墨画のようでした。
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あら、しまった、まだ続きが書きたいんですが雑用発生。続きは夜にでも。まだまだアルメニアの絶景は続きます。


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ついにアルメニア6 [ア−トとの遭遇]

ゲガルト修道院は屏風のような岩山の中腹にあります。まさに修道する場所と言った印象です。
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どこに修道院があるか分かりにくかったですか?中央右寄りの濃い緑の樹の右側です。もう少し寄った画像だとわかるかしら。
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修道院のすぐわきに頭巾をかぶった修道士のような岩が!
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洞窟修道院もあります。くりぬいた岩の中に入って行きます。
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中はこんな感じ。本当はかなり暗かった…。ところどころに天窓のような穴があるので真っ暗ではなかったのですが。天から差し込む日の光がとても神秘的です。アルメニアの讃美歌をここで聞いたのですが、洞窟内に柔らかく響いて昇った歌声がはらはらと降って来て体を包み込む…そんな感覚でした。聖なるものが息づいているんですね、ここには。
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洞窟じゃない修道院はこっち。
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中はこんなふう。簡素だけど石に彫りこまれた模様は(アルメニアの他の教会と同様に)素敵です。
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教会の周りは秋の木々がとてもきれい。岩山の屏風に取り囲まれているとは思えません。
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教会のふもとは地元の農家の人々が自家製の乾燥果物やナッツのお菓子などを商っています。「大きなハエがたかっている!」と思ったらソレはミツバチでした。ミツバチもてっとり早く甘い物を集めたいのかな。果物を煮溶かしてシート状にして乾燥させたらしいものを何種類も売っていました。試しに1枚買ってみたらとてもおいしかったのでもっとたくさん買えばよかった…と後悔。
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旅の〆はガルニ神殿。紀元前1世紀のヘレニズム建造物だそうです。17世紀の地震で壊滅したのを1976年に再建したのだとか。これに限らず地震などで崩壊した遺跡は海外にいるアルメニア人が修復の費用を出していたりするようです。アルメニア人はとても祖国愛が強いのです。
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ガルニ神殿のあるあたりもダイナミックな地形。ああ、写真では伝わらない~!凄いんです!実物を見てほしい。
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神殿の向こう側の崖はずいぶん遠いんだけど画像じゃどうにも伝わらない。……無念。最後の画像をよく見ると小さく人影があるので、何となく分かって頂けるでしょうか。
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ああ、やっと遠足1の様子をアップできました。この後1泊2日の遠足が2回あったんだけど、アップ完了できるのかしら。とってもイベントがぎゅうぎゅうだったアルメニア旅だったんです。

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ついにアルメニア5 [ア−トとの遭遇]

朝早くからエレバン郊外の世界遺産を見にみんなで遠足となりました。最初はリプシメ教会。
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非キリスト教徒だったローマ皇帝のプロポーズを拒みアルメニアへ逃れてきたリプシメと言う女性は布教をしていたところをアルメニアの王様からまたしてもプロポーズされてしまう(さぞや美しい女性だったのでしょうね)。当時王様は非キリスト教徒。こちらも断ったところ彼女は石打の刑で殺害されました。その後618年にその場所に建てられたのがこの教会。 ちょうど神父様がミサをしていました。
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シャンデリアを真下から写してみました。
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リプシメの棺がある地下へ。アルメニア美人たちはこんな場所で写すと「名画」と間違えちゃうほどの情感が出ます。
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美人って災難も大きいのね…と棺に描かれた肖像画をしみじみ眺める。
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女性を祀った教会だからか、花壇がとてもきれいでした。階段下では色合いも素敵なネコちゃんが「招き猫」してました。猫ながらお仕事は完璧。私らみんな、猫に吸寄せられたもの。
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エチミアジンはアルメニア正教の総本山。カソリックの総本山がバチカンならキリスト教の総本山はエチミアジンなのだそうです。入り口の門からデカイ!さすが。
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敷地に入ると広っ!
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アルメニア人の大虐殺の慰霊碑と施設もありました。この話はまた後で。
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教会はただいま修理中。教会自体は最初301年~303年にかけて建設され、その後7世紀、17世紀、18世紀に立て直されたのだそうです。聖グレゴリウスと共にこの教会を建てたのはリプシメを石打の刑にした後でキリスト教徒になった王様。王様も波瀾万丈の人生でした。
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入り口のシャンデリアも真下から撮ってみました。
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中はこんな感じ。ヨーロッパの教会に比べて簡素な感じがします。威圧されないから好感度増すのかな。
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祭壇。シャンデリアはさすがにゴージャスです。
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祭壇の下には聖母子と十二使徒の絵が美しい。
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宝物展示室もありました。もちろん宝飾品もあります。これは法衣と杖。杖のモチーフはドラゴン。
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煌めくお宝の中で断然格が高い2点のうちの1点はこの槍。磔にされたキリストが本当に死んだか確かめるために刺した槍の先…なのだそうで、これはもともとはゲガルド(槍)修道院にあったものだそうです。これで刺されたら…とっても痛そう。
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もう一つはノアの方舟のかけら…だそうです。ノアの方舟はアララト山に流れ着いたということで、100年前まではアララト山はアルメニアのものだったのです。
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ふう、本当はガルニ神殿とゲガルド修道院まで漕ぎ着けたかったけど、ここまでにします。(実際にはこの4遺跡を一日で巡ってその後のみの市をぶらつき、夜はアルメニアの作家さんのお宅訪問…という非常にハードな日程でした)


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ついにアルメニア4 [ア−トとの遭遇]

23日のレセプション(夕方)前に、エレバン郊外の古い教会を見に行きました。最初はサグモサヴァンク。ヴァンクとは修道院の事なんだそうです。
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で、この修道院のあるのは渓谷の端っこ。渓谷ってより地球の割れ目ってかんじ。割れ目の向こうから気の流れが向かってくるのが分かるのでパワースポットなんだろうなあ。
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中はこんな。ホントはもっと暗くていい感じなんですがデジカメは明るくなってしまいます。
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美しいシャンデリア。こういった鉄の細工も素晴らしく、その後も教会に行くたびにうっとりしていました。
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教会のホール。
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次はオハナヴァンク。その昔敵に攻められてこの教会に立てこもった村人たちは最後はことりになって窓から逃げた、と言う伝説を聞かせてもらいました。赤と黒の石組がきれいです。
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この教会も地球の割れ目の縁にあります。教会の裏はすぐ崖。教会を横から見た画像の右側が深い崖なのが何となく分かるのでは。
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内部。この急な階段の上は懺悔室の入口。武器を持って入れないようにするための狭くて急な階段です。アルメニア正教では神父様にではなく、神様に直接懺悔するのだそうです。階段の途中の穴は王様のための部屋の窓。王様はミサを聴きながら戦いで死んでいった部下を思い涙を流すのだけれど、王様が泣くところを他の者たちに見せないために部屋を囲って神父の声は聞こえるように小さな窓を開けてあるのだそうです。王様って孤独だなあ。
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隣の部屋。天井につるされたガラスのランプ壺の赤色がきれいでした。
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教会のホール。簡素で黒い色で柱が太くて外の光がいい感じに差し込んできて…、東大寺を連想しました。
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一緒に旅をした人からもらった写真。オハナヴァンクがとてもいい感じに撮れていますが何やら小さな虫たちが写っている?
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虫たちの正体は、台地の割れ目の向こうからこちらに向かってくる気の奔流を自分たちの体に取り込もうとしている私たちでした。本気でやってたんですが傍目にはかなりマヌケだったんですね。
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ついにアルメニア3 [ア−トとの遭遇]

今回は肝心のアート展の様子を…。
会場はエレバン中心地の南端と北端の2か所。22日から開催なのは南側にある市庁舎の中。市庁舎、とても大きな建物です。正面にエレバン市の地図が彫られています。このバラ色の石はアルメニアの特産の石。近代の建物はこの色の石が、古い時代の物は黒い石が使われています。アルメニアには石がふんだんにあるのと建築の才能があるのとで主だった建物はとっても大きくて立派です。
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なんとテレビの取材まで来ました!
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会場に花を添えるアルメニア美人たち。ホント美しい女性がいっぱいで日本人男性の鼻の下はノビっぱなし。アルメニアでもコスプレーヤーが出て来たそうです。ピンクの彼女は日本語ペラペラ。通訳もしてくれました。
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アルメニアやヨーロッパのアート関係の人々も駆けつけ、ぎゅうぎゅう状態の会場。
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23日は民芸博物館でのアート展が始まりました。こちらもとても大きな建物なんですが分かりにくいかな?クラッシックな感じが素敵。私の作品はこちらに展示されました。
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入り口のドアはとても大きな木のドア。見上げるようだったんですけどね。
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こちらも取材陣がスタンバイ。私もインタビューされました。キンチョー。
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作品はこんな感じに展示しました。振袖の着物は皆さんとっても喜んでくれました。苦労して運んだ甲斐があったー!
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男性女性、子供も大人も高齢の方も、ここアルメニアでも人形が好きな方が多くてびっくり。アルメニアは工芸のレベルが非常に高くて素晴らしいのですが人形に関しては素朴な物しか(街を見た感じでは)無かったので、私が作るような人形はとても珍しかったのだと思います。質問もたくさんされました。嬉しい反応です。
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沢山のお客様で、こちらの会場も大盛り上がり。消防大臣(!)も来て下さって、記念撮影なんかしちゃいました。私の人生で「大臣」と肩を並べることがあるなんて!よーーし、いつかは陛下と園遊会だ!
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ついにアルメニア2 [ア−トとの遭遇]

エレバンの街の様子を続けます。エレバン市の中心街はそんなに大きくありません。一番北にあるカスカードから南西端のパラジャーノフ博物館まで歩いても3キロぐらい。街の中心は共和国広場。天井の高い石造りの立派な建物がぐるりと囲んでいます。
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アルメニア人は古代から建築の才能があって外国でも重用されてきた歴史があるそうです。なるほどとっても重厚感あります。
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北端にあるカスケード、台地を利用した階段状の美術館です。入り口前の公園にもたくさんのアート作品が置かれています。
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中を入ると長いエスカレーターがあり、登りながらアート作品を鑑賞できます。ところどころで外階段にも出れて、外階段の踊り場にもアート作品が展示してあります。この階は中国人作家の古タイヤを使ったライオン像。
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踊り場から街を見れば正面突き当りはオペラ座。夜にはアルメニアで一番有名だというオペラをみんなで見ました。日本円だと1300円ぐらいでS席が買えます。子供もたくさん鑑賞に来ていてオペラは生活の一部のようです。もっとも私たちの前の席にいた15歳の女の子たちは初めて見る東洋人に興味津々でオペラどころじゃなかったみたい。質問攻めにあいました。
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大通りは歩道も広い。大きな街路樹に覆われていて仙台みたい。エレバンの街はとても大きな樹がいっぱい植えられていますが、これはいざと言うときの燃料確保も兼ねています。1988年の大震災は大きな爪痕を残し(原発が止まった)子供たちも冬山へ木を切り出しに行かされるなどなど耐乏生活を長期間強いられたことの教訓なのでしょう。
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そんな歩道を歩いていると突然遺跡のような教会が!ここ、東京でいえば原宿明治通りみたいなところなのに?
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古い教会はとっても小さいので後ろに新しい教会が包み込むように立っています。古い教会は3人も中に入ったら満員。
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中はこんな感じ。実際はもっと暗いんですが。日本の古いお堂に似たものを感じます。
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素敵な高級ホテル。このホテルの2階のフレスコ画がゴージャスなお部屋でアルメニアの新聞や雑誌の取材を受けました。緊張のあまりピンボケ発言してたかも。アルメニアのテレビの「徹子の部屋」みたいな番組に出た日本人メンバーもいました。なんか、凄いことになっていました。
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アルメニア料理はどれを食べても本当においしかったです。ワインも美味しい。バターでこってり…と言うお料理に当たらなかったせいか(もしくは、そういうお料理がほとんどないか)胃がもたれることもなかったし。野菜はともかく美味しいので私、アルメニアに1年ぐらい住んでも大丈夫かも。日本食が無くても飽きないだろうなあ。 レストランではアルメニアの歌と音楽も楽しみました。歌手のおじさんもアルメニアでは珍しい東洋人を前にいつもよりノリノリで声を張り上げていたんじゃないかと。
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ついにアルメニア1 [ア−トとの遭遇]

アルメニアとはどこにあるんだ?とお思いになる方がほとんどなんじゃないでしょうか。トルコの右隣で左がアゼルバイジャン、北がジョージア(グルジア)、南はイラン…なんだか危険な地域のようですが、行ってみればこんなに安全な国って他にあるのか?ってぐらいでした。夜の一人歩きも心配ないし、だいたい人々が殺気立ってないのでひったくりの心配もない。せいぜい個人タクシーのおじさんがお釣りを返さないかちょっと高めに請求してくるぐらい(これもたまーにあるぐらい)。物価は日本の1/4~1/3。さっぱりした油の強くないお料理なので香菜さえOKなら何を食べても美味しいし飽きません。人々もとても親切です。
 さて前置きはこれくらいで。
モスクワ経由でアルメニアへ。不味いと聞いていたアエロフロートの食事も心配したほどのことは無く、無事消化。アルメニアの首都エレバンの中心地にあるホテルに到着。
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白いビルがホテルなんですが、こちらの建物はみな唐突にベランダが飛び出しています。大丈夫なの?剥がれ落ちないの? ホテルの目の前は道に沿った細長い公園。アルメニアで見るベンチはほぼこの形。
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テントの下にはピアノ。他の公園にもやはりピアノが置いてあって、自由に弾いて良いようです。しかし弾ける曲が「猫踏んじゃった」じゃねぇ。
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アート展の会場は2か所。最初の話とは変わって、市庁舎の部屋と民芸博物館の展示ホールでの開催となっていました。私の作品は民芸博物館で展示されました。2か所の展示をアルメニアの作家さんと一緒に作業しているうちに少しづつ仲良くなっていきます。設営が済んだ後で、アルメニアの偉大なる映画監督でアート作家であるパラジャーノフの博物館に向かいました。私の最大のお目当てはここ。ドキドキ!高まる期待。

パラジャーノフ博物館へはマシュトツ大通りを南下していきます。ホテルはこの大通りをちょっと入ったところにあります。ホテルからは1.5キロぐらいなのでみんなで歩いて行きました。
ホテルから大通りに出ると途端に賑やか。
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黄色い車はバス。前から見ると丸っこい車体がとってもかわいい。
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エレバンは盆地なので中心地から外れると急な坂道が多くなります。ガイドしてくれてるアルメニア人は慣れっこなので歩く速度は平地と変わらず、とても速い。写真なんて撮っていると取り残されちゃう。
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大通りのほとんど行き当たりみたいなところを右に折れてさらに斜度を増す坂道を上ると…間違えようがありません、パラジャーノフ博物館です!
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周りはアパート。アルメニアではこんな感じに洗濯物を干しているのをよく見ました。洗濯物を干す風景にもお国柄が出ますね。
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博物館の塀の中はちょっとした中庭。大きな樹が枝を張り巡らしているので葉っぱの天井です。入館料は日本円だとだいたい200円。安っ!映画「ザクロの色」がエンドレスで流れ、パラジャーノフの絵やコラージュ、立体作品などがテンコ盛りに展示されています。彼の部屋の再現もあります。彼の作品を直にこんなにたくさん見れるなんて感激。2週間のうちに3回通ってしまいましたが、次回があるならまた行きたい…。
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博物館の裏を出ると渓谷が広がります。この日は曇っていて見えなかったけど晴れているとアララトが目の前に広がります。その切り立った崖に、これまた「ソビエト時代に建てました」って感じのアパート。こういうアパートに住んでいるアルメニア人作家さんのアトリエ兼サロンに何度か招かれましたが、お部屋は天井が高いし広いし、窓は大きいしで、とても素敵でした。うらやましい…。
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渓谷左側の奥にはアルメニア名産のコニャック工場。工場と街をつなぐ橋は別名「酔っ払い橋」。アルメニアのブランディーはコニャックを名乗ることが許されている程、水準が高いのだそうです。
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普段はこんなに長い日記を書かないのでバテてきました。今日はここまで。
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シモン先生のアート展 [ア−トとの遭遇]

今月3日から始まっていたシモン先生の作品展にやっと行って来ました。恵比寿からすぐのギャラリー。引っ越す前のギャラリーも素敵だったけど、今度の場所も素敵。倍ぐらいに広くなったのかな?先生の人形やデッサンがいい感じにレイアウトされています。じっくり作品を鑑賞するには良い環境です。LIBRAIRIE6/シス書店で25日まで。月曜火曜はお休みです。詳しくはこちらをチェック願います。
http://www.librairie6.com/  
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双六アルメニア10月のコマは [ア−トとの遭遇]

先月は大パーティーのコマに停まった私の「アルメニア関係イベント双六」、今月は「アルメニアの首都エレバンでのアート展に参加」のコマに進んでいます。今年1月にアルメニアに日本大使館が出来ました。そのお祝いのイベントが3月、5月のアート展でした。で、今度はアルメニアでの大使館設立のお祝いイベントに参加…となりました。アルメニアはトルコの右隣に位置していますが宗教はキリスト教です。
アート展の会場はハチャトリアンホールとディリジャン国立美術館の2か所。なので振袖の少女とジャケットの少年と2体、連れて行くことにしました。期間は10/21~31まで。
さて、アルメニアとはどんなところなんでしょう?ものすごく古い歴史を持つ国、興味津々です。
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アルメニア(中略)お祝い展のお知らせ [ア−トとの遭遇]

暑い中を薔薇展にお越しいただいたお客様、どうもありがとうございました。お盆を越して一息入れて、またあのギャラリーでの作品展に参加することになりました。
ヴェネチアビエンナーレの国別部門でアルメニアが金獅子賞を受賞したことをお祝いして、アルメニアとは深い縁をもつオーナーさんがお祝い展を企画。私にも声を掛けてくださったのです。代官山に展示した白いドレスの少女を、アルメニアへの思いと共に再度ご覧いただきたく思います。銀座にお出かけの際にはぜひお寄りくださいね。

●アルメニア共和国ヴェネチアビエンナーレ金獅子賞受賞お祝い展
会期:2015年8月20日(木)~25日(火) 12:00~19:00(25日は17:00まで)
会場:ギャラリー銀座一丁目 中央区銀座1-9-8奥野ビル4F
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「薔薇展」のおしらせ [ア−トとの遭遇]

約ひと月後なんですが、ギャラリー銀座一丁目さんの企画展「薔薇展」に参加します。「薔薇」というテーマでいろいろな分野のアート作家さん達が作品を展示します。私は時々このブログにも出てきた身長12センチのチビビスク娘にバラのドレスを着せてみました。期日が近くなりましたらチビさん達をご紹介しますね。
●薔薇展4
会期:8/6(木)~8/11(火) 12:00~18:30(最終日17:00まで)
会場:ギャラリー銀座一丁目 中央区銀座1-9-8奥野ビル4F(昨年の私の個展会場です)

さてさて他の作家さん達はどんなバラを作ったのでしょう。暑いさなかの展示ですが、きっと会場は良い香りに包まれていることでしょうね。
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ありがとうございました [ア−トとの遭遇]

24日はシモン展もアルメニア文化週間展も最終日。シモン展で展示していた作品を大急ぎで撤去して、そのまま代官山のアルメニア展へ。クロージングパーティーは今まさに乾杯をして盛り上がり最高潮。オープニングパーティーもあったのですが内輪の作家や関係者でのこじんまりした物だったのにクロージングの方は会場がごった返していました。外国ってオープニングよりクロージングに力を入れるのかしら?
アルメニア人のミュージシャンと日本人のお琴のエキゾチックな合奏が素敵。
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演奏の向こう側は盛り上がる人々。
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仲良くなった作家さん達はシモン展にも出かけてくれたみたいです。皆さんと「またご縁があったらご一緒したいですね」と和やかに盛り上がる楽しい最終日でした。
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アルメニア・ハチカルの拓本 [ア−トとの遭遇]

アルメニア文化週間展では「ハチカル」の拓本も展示されています。ハチカルは、元々は大昔、それまでの寺院を壊しキリスト教の教会を建てた時の記念碑が始まりだったのだそうです。その後、道端に旅の加護を祈る碑として作られ(道祖神みたいな物だそうな)、後年には墓碑としても作られたそうです。古いものなので無くなったり壊れたりするけど、記録として残すにはエンボス(圧力をかけて凸凹を写し取る)しか術がなかったそうです。そこで日本の方が大掛かりな機材がいらない「拓本」の技術を伝えている最中なのだそうな。そうして拓本されてきたハチカルが今回展示されています。
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このままギューーンと小さくしたら洒落た蔵書票になりそうなデザインで見ていて楽しいです。
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「アルメニア文化週間」展始まりました [ア−トとの遭遇]

代官山ヒルサイドフォーラムなんてオシャレな会場で「アルメニア文化週間」展が始まりました。こんな直前にいろいろ変更があり、会場が開いている時間が11:00~19:00、24日最終日は17:00まで と言うことになりました。この大雑把さは国民性の違い?見るからに大らかそうなアルメニア大使が開会のご挨拶。
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吹き抜けの壁面にはアルメニアの子供たちの絵。はっきりとした色使いが日本とは違うね、と日本側作家たちも感心。
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吹き抜けの上の階はアルメニア作家と日本人作家の作品展示。画像はアルメニア作家さんたちの作品。
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日本側はこちら
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私は天窓の下。間にあるのは藤本かずみさんのカラフルなワイヤーアート。
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少年胸像2体と少女人形を展示しています。少女が手に持っているのは白いカーネーション。なぜこの花を持っているかは、作品の傍らに置いた芦原佳明さんの文章をお読みください。
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開会式直前まで展示準備でてんてこ舞いしていて、他のフロアの素敵な展示を撮り忘れてしまいました。世界遺産の拓本が展示されているフロアはまるで古い教会にいるような空間でした。
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アルメニア文化週間展追加情報 [ア−トとの遭遇]

追加…というか、訂正と言うか…。初日19日の3時から5時の間はオープニングレセプションがあるのですが、これは関係者のみの参加で、一般の方は会場にも入れないのだそうです。もし19日にアルメニア文化週間展をご覧になるおつもりの方は、5時以降からになってしまいます。こんな情報がこんな後出しになってしまい、ごめんなさい。
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アルメニア文化週間展のお知らせ [ア−トとの遭遇]

「アルメニア文化週間」ということで、アルメニアのアーチストたちの作品や子供たちの絵、写真等々と共に日本の作家たちの作品も展示し交流する…というアート展に声をかけて頂きました。期間はエコールドシモン展とほぼ重なるので、両方楽しんでいただけたら。アルメニア…の会場は代官山なので、これはこれでお散歩も楽しい場所ですし。
●アルメニア文化週間
期間:5/19(火)~24(日) 9:00~21:00(19日は14:00から。15:00からオープニングセレモニーあり)
会場:代官山ヒルサイドテラスF棟
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なんとまだDMが出来上っていないので先日の「アルメニア人映画の夕べ」のパンフレットで代行。私はパラジャーノフの「ざくろの色」を見てきました。…何層にも何層にも重ねられた思いが閉じ込められているけどそれを饒舌に語ることはしない映画でした。
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金子國義さん [ア−トとの遭遇]

ラジオのニュースで金子國義さんがお亡くなりになった事を知りました。金子さんはシモン先生のお友達なので、シモン先生の関係のパーティーでは良くお見かけしたし教室にもたまに遊びに来ていました。15年ぐらい前パーティーで向かいの席に座っていらした時に(既にほろ酔い状態でしたが)ふと私に目をとめて「せっかく小顔なのにメイク魂に火が点いてない!」と言ったかと思うとお隣に座っていた女優さんから筆タイプのアイライナーを借りて私の顔に眉やら目張りやらをカキカキと描きはじめました。『しょうがないなあ…』とするがままにしていたのですが、さすがに唇まで墨で塗り始めたので逃げてしまいました。そんなことがあった金子さん、綺麗な顔立ちで無邪気でとても魅力的な方でした。
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ありがとうございました [ア−トとの遭遇]

アルメニア交流展の最終日。合気道の演武やお能などが披露され、賑やかに和やかにクロージングセレモニーは盛り上がりました。ほかの分野の作家さん達ともお互いの作品を前に、解説したりされたり、色々な情報交換をしたり…。アルメニアの作家さん達ともお話したかったけど、やっぱり言葉が通じないのは何とも歯がゆいものです。
色々なアートが一堂に会していて見ごたえがあったと思うのですが、わざわざ横浜まで見に来て下さった皆様、どうもありがとうございました。
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